踏切事故を美談にする違和感
2013.10.04

先日、電車の踏切で女性がひかれて死亡する事故があった。
踏切内で倒れて動けなくなった高齢者を救おうとしてかけつけ、
自分は助からなかった。

高齢者は負傷したものの助かった。
体をレールの間に横たえ、その上を電車が通過した。
女性が高齢者の体勢を変えたと見られているが
詳細はわからない。

この事故、マスコミでは美談として扱われている。
そればかりか、政府から褒賞と総理大臣名の感謝状が、
警察庁からは警察協力章が贈られることが決まった。

この話を美談として語るのはおかしい。
まして政治利用するなんてとんでもない話だ。

報道によると、電車はかなりせまっていたらしい。
踏切の緊急停止ボタンが押される前から
運転手は非常ブレーキをかけたが、それでも間に合わなかった。
そんな状況で踏切のなかに入るのは無茶だ。

「助けたい」という気持ちは大事だけど、状況を見ないといけない。
犠牲者を増やしてはいけないからだ。
警察などのプロの救助者でさえ、やみくもに助けたりしない。

詳細がわからない部分があるし、
犠牲となった女性とその遺族には失礼だけど、
彼女がとった行為は無理・無茶・無謀なものだった。
たとえるなら、天候が悪いのに登山を強行したり、
台風が来ているのに川の様子を見に行くようなものだ。
賞賛の対象となる行動とは思えない。

報道で、「(彼女のような行動は)自分にはできない」と
ほめるコメントがでていた。できなくていいんだと思う。
自分まで死ぬかもしれない状況なら、しなくても問題ない。
(親子や恋人の関係だったら別かもしれないけど)

助けたい気持ちを表すなら、できる範囲でやるのがいい。
今回の事故は「よいこはマネしちゃだめだよ!」という教訓を
そえて報道すべきであって、過度に賞賛する必要はない。

「犠牲者を出すことで大きな目的が達成される」のは
フィクションのなかだけで充分だ。


この記事へのコメント

- 通りすがり - 2013年10月07日 10:24:04

私も似たようなことを感じていて、「踏切 違和感」で検索し、この記事を読ませていただきました。このようなことを言うと、「彼女の死を侮辱するのか、この人でなし!」と言われてしまいそうな風潮すらあるように感じます。
そのような批判を覚悟で、再発防止のための啓発に努めるのが、報道の本来あるべき姿ではないかなあと思います。

もちろん、あの状況であのような行動をとれた彼女は本当に凄いと思うし、その想いは尊いものだと思っています

- 斎太郎 - 2013年10月07日 23:54:30

コメントありがとうございます。
やはり違和感がありますよね。

助けたい気持ちはすばらしいです。
しかし、あの場には状況を判断して(自分の安全を優先して)
踏切に入らなかった人もいたはずです。

踏切に入った人、思いとどまった人、
どちらも助けたい気持ちは共通していますが、
一方のみを英雄扱いするのはちょっと変だなあと思っています。

トラックバック

URL :

PR
プロフィール

saitaro2012

管理人:saitaro2012
別のブログサービスから移転してきました。
移転作業中のため、
画像が表示されなかったり
リンクがおかしかったりします


最新記事
カテゴリ
検索フォーム
最新コメント
月別アーカイブ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

RSSリンクの表示
リンク
Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...